デザイナーアーカイブ[家具について]

Marcel Breuer(マルセル・ブロイヤー)

Marcel Breuer(マルセル・ブロイヤー)

1902-1981

マルセル・ブロイヤーはハンガリー、ペーチ生まれ。ドイツ、ワイマールのバウハウスで学び、スチールパイプのアームチェアを初めて開発したことで有名です。1920年代と30年代はスチールパイプの家具の開発をしました。その作品は彼の合板を使った斬新な家具そして照明や空間の独特の演出方法とともに世界中から尊敬を集め、多くのデザイナーの作品に刺激を与えたとされています。ブロイヤーは力強い美学を何にも縛られずに実験した先人たちの一人として見られています。

ブロイヤーは1920年から1924年までバウハウスのウォルター・グロピウスのもとで学びました。学生時代はバウハウスのモデルハウスのために家具のデザインをし、アフリカの王座のような手彫りの椅子を製作しました。それは風変わりで後の彼の作品ともかけ離れたものでしたが、クッション面をミニマルにピンと張る技法は彼のトレードマークのひとつとなります。彼は1921年に「ソマーフィールドハウス(Sommerfield House)」のために硬くてがっしりしたアームチェアを、そしてそのほかに座面と背もたれがいろいろな色で編まれたデスクチェアをデザインしました。どちらの作品も彼の後期の作品と比べ見事に異なった方法で快適さを作り上げています。バウハウスが1952年にデッサウに移ったとき、ブロイヤーは新しいキャンパスの家具をデザインし、そして家具ワークショップ長にも就任し、その役職は1928年まで続きました。しかも1925年にはかの有名なスチールパイプの椅子「ワシリーチェア(Wassily)」を開発。構成主義的美学と自身で所有していた新しい自転車のハンドルの両方から着想したそうです。これはデッサウ時代のワシリー・カジンスキーのために作られた作品で、バウハウスのデザイナーたちからは「抽象的な椅子」呼ばれ、座っている人がスチールの立体フレーム内の布張り座面に浮いているように見えるように作られました。この椅子は非常に軽いという点と、継ぎ目無く接合されたスチールパイプで全体が作られているという点で画期的でした。ノール社に権利が購入される以前はいろいろな会社から販売されていました。

1928年にはベルリンに自分の工房を開業し、「セッサ(Cesca)」カンチバリーチェアとスツールを製作しました。おそらくはミース・ファン・デル・ローエに刺激されて作成したもので、名前は娘の名前にちなんでつけられたものです。彼はそのほかにもカンチバリーデザインをし、同スタイルで製作されたカウチがベルリンで開催された1930ショーに展示されました。1935年には英国のメーカー、イソコン社向けに合板素材の長いすと椅子を製作しました。人間の形を模倣した点で斬新ではありましたが、スチール製の彼の作品ほど頑丈ではなかった。彼の1936成型合板チェアが10年後イームズを刺激し、彼のネストテーブルはかつて彼が作ったスチールのテーブルの形に立ち返ったのです。

1937年にはアメリカに移住し、マサチューセッツ州の建築家グロピウスと共に仕事をするように。1937年から1947年にはハーバードで建築学の教鞭をとり、そしてかつての教え子エリオット・ノイエにIBMのビルデザインを依頼されました。1946年、ニューヨークに自分のオフィスを構えた彼はその後10年かそこらはニューイングランド州やその近辺のブリンマーやヴァッサーにて似たような個人宅や大学寮を70件ばかりデザインしたり、中の家具のデザインをしたりしました。「椅子とは・・水平でも垂直でもなく、表現派でもなく、構成主義でもなく、便宜主義的にデザインされてもならず、そしてテーブルと合わせるために作られてもいない、それがいい椅子である」という彼の柔軟な構造哲学のおかげでその作品は関連しています。

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