デザイナーアーカイブ[家具について]

Le Corbusier(ル・コルビジェ)

Le Corbusier(ル・コルビジェ)

1887-1965

スイス生まれの建築家でありデザイナーのル・コルビジェは1900年代初頭の国際的スタイルを形作った最も影響力ある人物の一人となりました。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ。1920年にパリで詩人のポール・デルメ、画家のアメデ・オザンファンと共に雑誌「レスプリ・ヌーヴォー(L'Esprit Nouveau)」 を創刊し、この頃からル・コルビジェをいう名前を使うようになる。パリ市民の芸術活動の積極的メンバーで、近代建築国際会議(CIAM - Congre`s Internationauxd'Architecture Moderne)の共同創立者の彼は、住宅が「生活のための機械」だというアイデアを中心に組み立てられたミニマリスト現代主義を推進しました。

ル・コルビジェは実家のあるスイス、ラ・ショー・ド・フォンの装飾美術学校にて時計彫刻家として学びました。1902年のトリノ時計彫刻展で賞を受賞するものの、才能を見いだした校長のレプラトゥニエの勧めもあり、まもなくして建築に興味を覚えるようになりました。1905年初めてのプロジェクト「ファレ邸」で建築家ルネ・シャパラと仕事をし、1907年にはイタリアを出てパリへ向かい、異なった建築スタイルを学ぼうとしました。彼はパリのオーギュスト・ペレの建築事務所で働き、1910年にはベルリンのペーター・ベーレンスに一年間弟子入りをします。1912年に戻った彼は1914年まで地元、ラ・ショー・ド・フォンの建築学校教師として働くことで修行の日々を終了します。

1914年の「ドミノハウス」は動線の自由自在なインテリアプランを発表し、彼の建築スタイルをみごとに再現していました。この建物の構造壁は鉄鋼支柱によって支えられた強化コンクリートで出来ていました。支持壁が少なくなった分、生活用のスペースがこれまでになく多くとることができ、産業上画期的なデザインに仕上げることに成功したのです。1917年パリに移った彼は現地のアートシーンから多くの刺激を受け、いくつかの絵画を制作しました。画家のアメデ・オザンファンと共に「キュビズム以降(Apre`s le Cubisme)」を創刊し、新しい次期立体派純正論を支持しました。この考え方に充実にル・コルビジェはオザンファン邸を1922年に、サウ゛ォア邸を1931年にデザインしています。

1920年代を通じデザインについての哲学を固化した彼は、本や雑誌の出版をし始めます。1923年に「建築をめざして(Towards a New Architecture)」を発表し、続いて1926年の「近代建築の五原則(Five Pointsof a New Architecture)」では屋上テラスや自由なインテリアスペース、開放的な窓、簡素な外観そして構造支持のための柱の必要性などの建築学的指針の概要を記しました。1928年にはピエール・ジャンヌレとシャルロット・ペリアンとのコラボレーションの一環として、自分のスペースのために家具を製作し始めました。3人はスチールパイプの家具シリーズを製作し、1929年のパリでのサロン・ドートヌンヌに「LCシリーズ」を出品し、世界的に最高の知名度を誇る作品となりました。その家具は「生活のための備品」シリーズと名づけられ、高級皮革ないしは牛革が張られ、ル・コルビジェが「リラックスマシン」と呼ぶ"「B302」回転椅子、「B301」ソファ、そして「B306」長いすでした。トーネット社(Thonet)がこれらの作品をもともと生産していたが、最近ではその多くがカッシーナ社(Cassina)よりクラシックシリーズとして再生産されています。ル・コルビジェ、ジャンヌレ、そしてペリアントはLC2の発展型として「グランドコンフォート」をデザインし、その名の通りの座りの座り心地を提供し今も愛される名作です。

戦後の1947年には集合住宅の名作「ユニテ・ダビタシオン(L’unite d’habitation)」をフランス、マルセイユに建築。戦前の30年に提案した「輝く都市(La Ville Radieuse)」にある低層過密な都市よりも超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であるとする彼の考えを実践した。また55年には「ロンシャンの礼拝堂」を建築。カニの甲羅を型取ったとされる独特な形態で、鉄筋コンクリートで可能になった自由な造形を示している。「祈り、平和、心からの喜びのための静寂な場所を創りたかった」 と彼が語っていたとおり、礼拝堂には人を沈黙させてしまう空気と美しさがあり、それゆえ従来主張していた機能性・合理性とは異なった表現に達した。

当時は異端的であった彼の思想は後に多くのモダニストに影響を与え、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠と呼ばれている。東京の国立西洋美術館も彼が設計をしており、そのために来日を果たしたこともある。

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