デザイナーアーカイブ[家具について]

Kaj Franck(カイ・フランク)

Kaj Franck (カイ・フランク)

1911-1989

フィンランドのカイ・フランクがミッドセンチュリーデザイン活動にその名を残しているのは彼のガラスと陶磁器の作品、そしてアラビア(Arabia)社とヌータヤルヴィ社(Nuutaja"rvi:87年にイッタラ社と合併)のアートディレクターとしての活躍によるものである。「フィンランドデザインの良心」と呼ばれたフランクはテキスタイルデザイナー、展示会プランナー、大学教授、そして機能的オブジェの社会的美学について積極的に発言する理論家でもありました。

ヘルシンキの美術工芸大学卒業後の1930年代にデパートで生地、カーテンそしてカーペットなどを販売する仕事をしていました。そこで彼は家具のデザインを始め、唯一作った作品を1937年のパリ国際見本市に出品。1938年にはフィンランドの大手テキスタイルメーカー「Yhdistyneet Villatehtaat Oy」と「Helsingin Taideva"rja"a"mo"」にテキスタイルデザインもしました。

1945年からアラビア社で働くようになり、50年には同社のアートディレクターに就任します。52年、彼は「smash the services(サービスをかっ飛ばせ)」キャンペーンを開催し、そこで古臭い、その当時の標準だった役に立つことのほとんど無い食器の代わりに斬新な食器を発売します。それが「キルタ(Kilta)」シリーズで、いろいろな色で発売されました。最初の20年で2500万枚売れた彼の代表作です。必要に合わせて1枚ずつ買うことができ、簡単に交換も出来ました。お皿の縁に幅広く施された装飾を無くし、端は角度を付けることで積み重ねしやすくしました。機能的で使い勝手よく、丈夫で、見た目も美しいこのシリーズは瞬く間にたくさんのフィンランド家庭の日常用食器となりました。この後継デザインが「ティーマ(Teema)」である。

アラビアでは仕事環境へも彼は影響を与えました。彼は生産過程とアーティストの考えの良い関係を作り、維持することに貢献しました。仕事場のスペースを広く取ることでデザイナーたちにたくさんの自由と柔軟性を与えました。彼は後にアラビアのショールームと博物館をデザインし、同じくヌータヤルヴィ美術館のデザインもしました。

50年からはヌータヤルヴィでもデザインをし、機能的なグラスセットをたくさん製作したほか受賞作である「ウッドコック(Woodcock)」のような装飾品も製作しています。奨学金を貰いイタリアのウ゛ェトリ・デ・ナポリの工場へガラスを勉強しに行きましたが、予定よりも早くに帰国。自分が歓迎されていないと感じたためで、自宅宛の手紙にも「彼らは私がガラスの産業スパイか何かだと思ったようだ。」と書いています。彼は色ガラスに関心があり、フィンランドの色は「繊細で華麗・・自然と密接な関係のあるもの」と信じていました。

彼は旅することが多かったようです。ミラノトリエンナーレをはじめ、国際見本市などのためにアメリカ、オーストラリア、カナダ、イタリア、ベルギーなど訪れています。北欧デザイン界のノーベル賞と呼ばれるほどの権威ある賞のルニング賞や1957年のミラノトリエンナーレにてコンパッソ・ドーロ賞をと数々の賞も受賞しています。没後の92年には彼の意志を継いでデザインに貢献した若手アーティストに毎年贈られるカイ・フランク賞がデザイン・フォーラム・フィンランドにより制定された。

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