デザイナーアーカイブ[家具について]

Kaare Klint(コーア・クリント)

Kaare Klint (コーア・クリント)

1888-1954

コーア・クリントはミッドセンチュリーの国際舞台にデンマークモダンスタイルを爆発させたデザイナーたちにとって先駆者であり教師でした。1888年デンマーク・フレデリックスボル生まれ。1924年コペンハーゲン王立美術アカデミーでの有力な家具学科の設立に貢献し、同学部の講師と建築学の教授にもなりました。しかし彼はモダン主義者と異なり、家具形態の歴史的進化に忠実にそして新古典主義のデザインの責務に取り組みました。彼の仕事の大きな目標は、これらのデザインを見直し、再考し、現代の需要に合うようなデザインをすることでした。クリントとの教えはポール・ケアホルムボーエ・モーエンセンといった献身的な弟子たちのみと思われていますが、彼のデザインに関する哲学の多くは次世代のデザイナーに沢山のヒントを提供しました。

フレデリックバーグ工科学校で元来ペンキ職人として鍛えられたクリントはコペンハーゲンの技術学校で父親であり建築家のジェンセン・クリントとカール・ピーターセンの元で建築学を学びました。1914年にピーターセン がファーボー美術館のための設備デザインを手伝ってもらおうとクリントを招きます。彼らはこの依頼のために18世紀の伝統的な椅子の形を参照し、「ファーボーチェア」を共同でデザインしました。藤の背もたれと牛皮の座部を持ち、発表当時と同じ卓越された品質で現在も製造され続けている名作です。1920年に自分のオフィスを設立した後、クリントはその後の20年間をコペンハーゲンのトーヴァルセン美術館やデンマーク工芸博物館のための家具を作ったりしました。彼のデザインした家具は国際的には1929年にバルセロナで展示され1937年パリ展でも展示されました。1927年彼はチーク材に皮の張り地をしたシンプルで上品な椅子とアームチェアをデザインしました。1933年の折りたたみ椅子「サファリ(Safari) とオットマン」は英国陸軍のためにデザインされた伝統的作品を再デザインしたものでした。市場で流行したこの椅子は木製の構造体にキャンバス地の座面をつけてあったのです。1933年にはまた別の椅子、取り外し可能な布張りのマットとクッションでできたデッキチェアをデザイン。これもまた初期のデザインに刺激されたものでした。これらの作品はクリントが批評した模倣品と創造的再訪の間のいい道を歩いていました。クリントの目標は全体的な品質にあり、それは国内の材料を用いたシンプルで上品なものでした。それらはたいがいルドルフ・ラスムッセン社(Rudolph Rasmussen)の小さな工場で手作りされていました。彼のキャリアの後半には会社「ル・クリント(Le Klint)」 を設立し、息子と1940年にデザインした折りたたみ紙のランプシェードのような大量生産にも興味を示しました。

クリントは家具デザインと人間比率の関係を詳細に研究することに大きく貢献しました。着席のための最適用具としての椅子の定義のし直しと微調整に関心を抱き、どのようにしたら達成できるのか分からない大規模な研究を行いました。この理論的アプローチは人体計測と呼ばれ、後の家具および工業デザイナーにとって必須であると証明されました。しかも研究の一部としてクリントは収納するものに合わせて特別に収納ユニットをデザインし、引き出しや棚の基準寸法を設立しました。科学的理論に貢献し、よりよい椅子を作ろうとする膨らむ熱意を決して失うことの無かった彼は1930年のインタビューで理論と芸術性の間の理想的相互作用について次のように述べています。「デザイナーは家具の作図することを学ぶことは出来ます。項目から項目へと、無味乾燥した事実にのっとって。ですがデザイナーは同時にデザイナー自身が過ごす時間に適した芸術的感覚をそこに与えるべきです」

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