デザイナーアーカイブ[家具について]

Hans & Florence.Knoll(ハンス&フローレンス・ノール)

Hans & Florence.Knoll(ハンス&フローレンス・ノール)

1914-1955、1917-

ハンス・ノールはモダン家具メーカーの息子としてドイツで生まれました。彼は1938年に野心を抱いてアメリカへ渡り、ニューヨークの小さなオフィスで「Hans G.Knoll Furniture Associates」を発足しました。1946年に空間プランナーおよびデザイナーとして彼と共に働いていたミシガン出身のフローレンス・ノールと彼は結婚しました。フローレンスはクランブルック美術アカデミーやロンドンの建築協会そしてイリノイ工科大学(当時は「アーマー研究所(Armour Institute)」) で学び、そこではミース・ファン・デル・ローエの生徒でした。卒業後フローレンスはウォルター・グロピウスとマルセル・ブロイヤーのマサチューセッツ、ケンブリッジにある建築オフィスで働いていました。2人は1946年、会社名を「Knoll Associates」 と変更し、世紀の後半の最も重要で最も影響をもたらす企業を育てていきました。

ノール社はモダンデザインに、バウハウスが提唱した「革新的技術そして大量生産」を取り入れ業績を伸ばしていきました。さらにノール社が実施したことで有名なのは個々のデザイナーの著作権表示を各商品にし、使用料を支払う方針で、レベルの高い尊重と仕事上の強力な関係を得ることです。彼らと共に仕事をしたデザイナーは主に友達や学校の同期で、ハリー・ベルトイヤエーロ・サーリネンはフローレンスがクランブルック時代から知る仲間でした。そのため管理者とか部下とかのくだらない関係がありませんでした。フローレンスが収めた大成功は、彼女のかつての教師だったミース・ファン・デル・ローエの有名な「バルセロナ(Barcelona)シリーズ」の権利を得たことでした。そのおかげでノール社は国際的スタイルを基調に成長するアメリカ市場で成功を収めていくことになりました。

1945年フローレンスは「良いデザインは良いビジネス」という彼女の信念を実行するために「Knoll Planning Unit」を設立して、ノール社のビルのインテリアを製作し、企業イメージを管理しました。1947年には、自社にファブリク部門がなかったため、ありきたりの張り地やファブリックを使用しなければならないというフラストレーションからテキスタイル部門をフローレンスの直接の指揮下で立ち上げました。フローレンスは家具デザイン部門の部長でもあり、いくつかのショールームをデザインしたり、1949年デトロイトで開かれたモダンリビング展(An Exhibition forModern Living)のような展示会の全てを企画したりしました。彼女はノール社のために何年も家具をデザインしており、ニューヨーク近代美術館が企画したグッドデザイン展にも自身の作品が展示されました。フローレンスが企画しノール社のインテリアを使い、ノール社のデザイナーがデザインした有名なビルにサーリネンのCBSビルなどがある。1950年、ハンスは伝統工芸技術を持ったドイツ移民や戦争から戻って求職中の人の恩恵を受けられればとノール社の本拠地をニューヨークからペンシルバニアへ移しました。彼はフローレンスを代表取締役に残し、1955年に車の事故で他界してしまいました。1960年フローレンスは自らコンサルタントの身分に身を引き、1965年には会社から完全に退きました。

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