デザイナーアーカイブ[家具について]

Friso Kramer(フリゾ・クラマー)

Friso Kramer(フリゾ・クラマー)

1922-

フリゾ・クラマーの作品は1940年代から今日までの国民的スタイルにおいて重要な役割を担っています。工業および家具デザイナーとして、彼のアイデアや創造力はダッチモダン主義のもつ美的感覚を世界に浸透させるのに大きな役割を果たしました。

オランダ、アムステルダム生まれ。アムステルダムの工芸美術学校にてインテリア建築について学ぶ。卒業後クラマーは1950年代の「グッドリビング(Goed Wonen)」財団の一員でした。財団の目的は戦争で失った生活環境水準を戦争前の水準に戻そうとするものでした。そして第二次世界大戦によって引き起こされた「スタイルの欠乏、素材不足、住宅の欠乏」を減少させることでもありました。財団のメンバーは講義を行い、アムステルダムで彼らの活動を広く紹介し、雑誌を出版して現代生活や急成長するモダンスタイルについての情報や記事を提供しました。財団はデザイナー、建築家、メーカー、小売業者そしてお客様の間で上手い連携が出来たことにより地域社会に強い影響を与えました。

1948年にはスチール家具メーカーDeCirkel(39年にアーレント社の傘下となっている)のデザイナーとして採用され、曲げた成形合板とスチールからつくられた椅子は明らかに同時期のイームズの作品に影響を受けたものでした。椅子は丸い座面を採用していて、その縁は柔らかく下にカーブしていて、背面は別個で少しくぼんだ形でした。1953年作のこの椅子は「リボルトチェア(Revolt)」と呼ばれ、1954年のミラノトリエンナーレに出展されダッチスタイルの有名なアイコンとなり、現在も復刻され愛される名作として名高い。またクラマーは金属のテーブルと引っ掛け式の食器棚も出展しました。

1950年代を通じてクラマーはハーグの国立芸術アカデミーでビジュアルアートを教えました。そのコースは金曜の夜と土曜日で実施されていて、従来の学校よりもいろいろな種類の人たちを引きつけました。さらに彼はDAVO社のためにオイルヒーターなどの工業製品のデザインをし始めました。楕円形の形が宇宙船のようで粋で機能的だったのですが、その作品が大成功することはありませんでした。しかし1963年にウィム・クラウェル、ベノ・ウィッシング、ポールとディック・シュワルツとともに設立をしたデザイン会社「トータルデザイン」は大成功でした。オランダ初のデザイン会社となった同社は「可能な限りそれらの分野の“トータルデザイン”もしくはアイデアの統一を達成するために、全ての分野のデザインやアイデアを実行し開発する」という目標を持って、スキポール空港、銀行、企業や博物館、フェスティバル実行委員会等から定期的にデザインの依頼を受け、中には1970年、大阪で開かれた万国博覧会のオランダ館のデザインといった大型のプロジェクトも手掛けていました。

1971年以降アーレント社のアートディレクターも勤めたクラマーは1972年に有名なオフィス家具「メヘス(MEHES)」シリーズのデザインをしました。その名前は彼がオフィス内での優先順位として描いた事項の頭文字でした:移動性(mobility)、効率(efficiency )、人間化(humanization )、環境(environment )、そして標準化(standardization )。60年代ハーマン・ミラー社のためにロバート・プロストがデザインした「アクションオフィス(Action Office)」のようにメヘスシリーズも人間工学的で、組み立て式で、明らかに近代的なオフィス環境を創造しました。1986年、クラマーはデウ゛ァール社(De Waal )のためにそれまでの経験からイスとベッドをデザインしています。

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