デザイナーアーカイブ[家具について]

Eero Aarnio(エーロ・アールニオ)

Eero Aarnio(エーロ・アールニオ)

1932-

彼の代表作はFRPで作られた遊び心満点の「パロ(ボール)チェア」と、「パスティールチェア」。屋内外で使えるポップなデザインのロッキングチェアであるパスティールチェアは1968年にアメリカ工業デザイン賞に輝いた椅子でもあります。

アールニオはヘルシンキで生まれ。芸術工芸学校で工業デザインを学び、同校を57年に卒業。その後フィンランドデザイナーのイルマリ・タピオヴァラのもとで仕事をし、60年アスコ社で働くようになりました。その後退社し62年に自身のデザイン事務所を立ち上げ、工業デザイナーおよびインテリアデザイナーとして仕事を始めました。

「ボールチェア」は1966年のコロン家具市で初めて公に紹介されました。値段が高く、製造できる数も限られていたにもかかわらずデザイン誌から高く評価されました。それまでのスカンジナビアンデザインの魅力といえば大量生産をものともしない、言い換えれば大量生産だからこその美しさそしてエレガントさでした。ボールチェアはモダンなイメージで製作されていたにもかかわらず、アスコ社はアールニオと事業提携を結びました。提携により彼は新しい素材、新しい流行を取り入れた家具を実験的に製作することができました。それが会社のイメージや利益を引き伸ばしていき、新しい流行が生まれ、プロとして育まれた人間関係が彼のデザインに新境地を開きました。これはアスコ社の一社員だった時代には成しえなかったことです。

その後もアールニオはプラスチックにこだわって制作活動を続けました。まるで先人のフィンランドデザイナー、タピオヴァラが木にこだわっていたように。アールニオは人間工学に基づいたデザインに最先端の素材を使い、さらにモダンで、低価格で大量生産可能な家具を作りたいと考えていました。彼のデザインはスカンジナビア独特のエレガントな処理方法を再現しているほか、自分の作品が「美しくそして驚異的に頑丈でなくてはならない」という信念に忠実に作られていました。この「存続させるために作る」の精神は、どちらかといえば使い捨てが主流だった1960年代の美に対する意識に逆らったものでした。

アールニオの名言の中でよく引用される台詞で「デザインとは不断の更新、再編成、そして成長である」というものがあります。この思想に従い、アールニオは1970年代よりポリウレタンフォームを使用し、子馬のように見える「ポニーチェア」(1970年作)を製作しました。

ニューヨークタイムスの最近の記事でアールニオは現代におけるプラスチックの重要性について再度主張していました。「現代の人間はみなプラスチックの真ん中で生を受けたのだ。生まれて初めての夜は病院のプラスチックのベッドで寝たのだよ。」

閉じる