デザイナーアーカイブ[家具について]

Arne Jacobsen(アルネ・ヤコブセン)

Arne Jacobsen(アルネ・ヤコブセン)

1902-1971

アルネ・ヤコブセンはデンマーク、コペンハーゲン生まれ。地元の技術学校でタイル工として学んだ後、王立美術アカデミーで建築学を学ぶ。卒業後パウル・ホルセーの事務所に入る。時同じくして妻マリーと結婚。マリーの紹介でポール・ヘニングセンと知り合う。1929年ヘレラップに自分の建築オフィスを開き、ミッドセンチュリーデザインの中でも最も影響力のある、斬新で、いつも随所で目にする作品を多く製作した。

その道の先駆者となった彼がデンマークデザインを包む伝統を払いのけたのは未来の家コンテストで勝利を収めた彼の「1929プロジェクト」でした。彼と共作者フレミング・ラッセンは屋上のヘリコプター用の着陸パッドのために補強した円状の構造物、すべてのインテリア、家具、そしてテキスタイルと色をデザインしました。このように建物の建築から細部のデザインまで細かく関与するのはヤコブセンの仕事の特色でもあり、結果として彼の最も有名なデザインの一部となっています。

1940年からデンマークはドイツ軍の占領下におかれ、ユダヤ人であった彼は戦争が激化するにつれて迫害を恐れました。1943年、彼と2番目の妻でありテキスタイルデザイナーのヨハナはポール・ヘニングセン夫妻と共に手漕ぎボートで当時中立国であったスウェーデンへ亡命。そこで妻とともにテキスタイルや壁紙のシリーズを製作しました。1949年にデンマークに帰国すると、彼はコペンハーゲン郊外にあるムンゲゴー小学校をデザインし、プロジェクトが1950年代中旬まで続きました。このプロジェクトで彼は子供の知力に合わせたデザインができるという技術を高く評価されました。彼が学校向けにデザインした椅子「タンチェア(Tongue)」は1952年に彼を世界的に有名にした椅子「アントチェア(Ant)」とよく似ています。50年にフリッツ・ハンセン社と契約後に生まれたこの椅子は重ねられ、座面と背面が一枚の成形合板が折り曲げられて作られ、3本足という椅子はすぐに目を奪い、そして快適でした。その後「アントチェア」が発展し、1955年の有名な「セブンチェア(Series 7)」となり、4本足のものとキャスターの付いた回転椅子とがあります。

ヤコブセンは1956年にコペンハーゲンのSASロイヤルホテル(現ラディソン)の製作に取り掛かかりました。建物自体、簡単に収められた成功ではありませんでした。ヤコブセンはインタビューの中で詳しく話していますが「この街で一番醜い建物を選ぶコンペを新聞紙上で行ったら、私が優勝するでしょう」と。しかし彼はやる気をなくしたわけではありませんでした。「“良識”という言葉に耐えられなくて・・・私は芸術的で、受容力をもって、迅速にデザインをする」。SASから来た仕事はまさにそうしたことに徹していました。恐ろしく有名な「スワンチェア(Swan)」や「エッグチェア(Egg)」など、アームチェアが単一の有機的な自由形式の構造に布張りしがしてあって、新しい種類の古典デザインを提供していました。例えば「スワンチェア」は座った人を単に支える背のまっすぐな椅子ではなく、同時にいろいろな座り方が容易にできるようになっている椅子なのです。ヤコブセンはかつて次のように言っていました「長年言われていることだが、その物が実用的で機能的ならば、同時に美しくもあるのだと。だが私はそれを信じていない」。ですが彼がデザインしたイスは実用性、機能性、美的性のどれをとっても完璧までに完成度の高いものでした。彼は次に英国オクスフォードのセントキャサリンカレッジの大きなプロジェクトに取り掛かかりました。この空間に適した新しいシリーズの椅子をデザインし、その中にはプライウッド製の回転チェアや側面がカーブしていて頭の上から見ると長方形の背もたれの高い椅子もいくつかありました。未来の空想家ヤコブセンに耳を傾けると、映画「2001年宇宙の旅」で彼がSASのためにデザインした平皿類が使用されていたことも特筆すべきです。そして実際、今世紀に入ってからでもヤコブセンの家具は実に刺激的なデザインであり続けているのです。

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