デザイナーアーカイブ[家具について]

Alvar Aalto(アルウ゛ァ・アールト)

Alvar Aalto(アルウ゛ァ・アールト)

1898-1976

アルウ゛ァ・アールトの本名はフーゴ・ヘンリク・アールト。フィンランド、クオルタネ生まれ。ヘルシンキ工科大学にて建築を1916年から1921 年まで学ぶ。その後アルウ゛ィート・ビヤルケの事務所で働き、22年ユウ゛ァスキュラの近くに建つ教会を設計する。

1923年、故郷からほど近いユウ゛ァスキュラに仕事を得たので、そこに自身の事務所を開く。その際に改名。フィンランド建築家リストの一番上に名前がくるようAlver Aaltoと改名したといわれる。1928年には近代建築国際会議(CIAM)の終身会員に選ばれ、コルビジェやグロピウスとも知り合います。1924年同じく建築家であるアイノと結婚。1929-33年パイミオのサナトリウムを設計。彼の代表作ともいわれるこのプロジェクトにより彼の建築家としての地位は短期間にして確立します。またこのために設計した家具を契機に彼の本格的な家具設計も始まります。中でも椅子「パイミオチェア」は、成形合板を使った斬新な座面により「材料革命」と評され、家具デザイナーとしての彼の名を一躍有名にしました。

1937年のパリ国際博覧会や1939年のニューヨーク国際博覧会のフィンランド・パビリオンのデザインを手がけていた彼は、建築家およびデザイナーとして他国に対しフィンランドを代表とする初代大使の一人でした。1929年トゥルク建設700年祭にむけたエリック・ブリッグマンとの共同デザイン作業もフィンランドの機能主義時代を紹介する活動となりました。彼らは組み立て式の木製部品でできたモジュールシステムのワンルームに外観との関係の親密性という思想を取り入れ、自然素材を大量に利用しました。彼のその後のデザイン家具は機能主義をさらに支持したものになっており、低コストで、実用的で、丈夫で、美しいものでした。産業が大量生産してこそ大衆が手にできて楽しめるという社会的平等と文化を広げるというものでした。

1929年、彼とオットー・コルホネンはトゥクルに成型合板のワークショップをオープンさせました。そこで学んだ方法論を後に彼の家具デザインにとって最も重要な発明といわれる曲げ木の技法「アールトレッグ(Bent knee)」へ適用させることになるのです。つまりはフィンランドでもっとも多く手に入る自然素材である硬いバーチ材を思いの角度に曲げられるという専売特許を世界各国で取得したのも同じでした。その技術を持ってして作った作品を「世界初の柔らかい木の椅子」と彼は言っています。

1935年、アールトそして共に働いていた彼の妻アイノ・アールト、マイレ・グリクセン、そしてニルス・グスタフ・ハールは「アルテック」という会社を立ち上げます。アルテックはアールトがデザインした家具を販売することが目的につくられてのですが、そのギャラリーではモダンアートやアールトが影響されたデザイナーの作品の支援や販売もしていました。世界にアールトの家具を輸入販売している会社の1つに英国の建築デザイン評論家として有名なP・モートン・シャンドがアールトの家具を輸入するために設立した「Finmar」があります。

アールトは建築や家具以外にガラスも多くデザインしています。1937年パリ博覧会に出品した「サウ゛ォイベース」を始め、妻アイノとともにデザインしたガラス製品はイッタラ社より販売され今も多くの人を魅了し続けています。1943年にはフィンランド建築家協会会長に選任。1957年、アールトは王立英国建築家協会より金メダルを受賞。1963年から5年間フィンランドアカデミー会長職を勤めるなど晩年まで多忙を極めました。

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